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第18回連載コラム

写真雑貨を創作する・saorinの
『写真を楽しむ、写真で楽しむ』

!!!何と今回のコラムはsaorinのこれまでの歩みがテーマ。大学を卒業後…という自身のお話に、デジカメの歴史館的な視点を交えた内容。あら意外!?
saorinってこんな経験していたんですね!

「自分史 vol.1」

こんにちは、saorinです。梅雨ですねー。雨が降ったり降らなかったりで、お出かけもなかなかままならない今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。ちなみに今saorinは、2冊目の著書の山場をむかえております。このコラムが写真花に掲載される頃には、落ち着いてると・・・いいな・・・(ほんとはこのコラム、かなり焦りつつ書いてます) さて、今回は少し趣向を変えて、saorinがどんな風に現在の活動をするようになったのか、過去をたどりつつお話することにしました。今まで、自分のサイトでもそういったたぐいの話はほとんどしたことがないので、この際だからどっぷり過去にひたっちゃおうかな! (笑)今月から何回かに分けてお話ししますので、皆さまよろしくお付き合いくださいませ。

「学生時代は、いたって普通」

たまに、「美大出身なんですか? 」とか、「以前も、今と関係ある仕事をされてたんですか? 」と聞かれることがあるのですが、答えはNOです。私は、普通の大学を出て、写真や雑貨などとは全く無縁の会社に勤めていました。大学は、ただ単に高校時代に英語の成績がそこそこ良かったから、というだけの理由(笑)で、英米文学科に進学。けれども、卒業後は英語の仕事に就きたいと思っていたわけではなく、というか私程度の英語力ではそもそも無理な話で、学校での勉強もまあそれなりに、という感じでした。キャンパスは表参道にあったのですが、あの頃は雑貨やカフェにはほとんど興味がなく(まあ、一番の理由は金欠だったのですが)、友だちと遊ぶ場所はいつも渋谷でした。今思えば、もったいない! 学生時代にあちこち散歩していたら、あの辺りにもっと詳しくなっていたのに・・・(笑)
写真に関しても、まだデジカメが普及し始めたばかりの頃。携帯もまだ一般的でなく、1年生の頃の通信手段は主にポケットベル。その後、PHSが普及し、大学を卒業する頃にやっと携帯を持つようになりました。思えば私の学生時代って、通信媒体が飛躍的に進歩した頃だったんですね。そんなわけで、携帯にカメラがついていてもほんのオマケ程度。作品を撮る、というよりは記録しかできないレベルでした。今の携帯カメラに比べたら、信じられないくらいの低スペックだったと思います。いや、そもそも最初の頃の携帯には、カメラさえ付いていなかった気が・・・。

富士フィルム Finepix4500 デジカメという存在を始めて知ったのは、大学4年の頃だったと思います。写真というものは、カメラのレベルは違っても(”写るんです”か、持っている人はコンパクトフィルムカメラ)、フィルムで撮って薬局で安く現像・同時プリントするものだ、と思っていた私にとって、「何枚撮ってもOKで、何とモニターで確認できて、失敗したら消して撮り直せる」という事実は本当に衝撃的でした。しかも、現像・同時プリントなどという、しちめんどくさい手続きをふまなくてもいいんです! これは本当に画期的だと思いました。初めの頃は、人のカメラをちゃっかり借りて、ぱちぱち撮影させてもらっていました。確か、富士フィルム Finepixの初期の機種、4500だったと思います。

「Finepix4500のフォトギャラリー」

「ホームページに夢中だった会社員時代」

かもめ大学を卒業後、何とか就職した先は金融関係の会社でした。今でこそ、「投資信託」という言葉は割と知られてきましたが、当時はあまり一般的でなく、「金融の会社に勤めています」というと、大抵「銀行? 」と聞かれる始末・・・(笑)でも、無理もありません。入社した当初は私自身、会社が何をやっているのかよくわかっていなかったのですから・・・。さて、意気揚々と入社し、研修期間を経て配属になった部署は「トレーディング部」と呼ばれるところ。一体どんな仕事なのかと言うと・・・株や債券、為替などの有価証券を売買する仕事でした。今振り返ると、もう一生縁のなさそうな仕事についていたのだなあ・・・と思います(笑)部署にいるのはベテランの先輩ばかりでしたが、知識ゼロの私に、トレーダーという仕事を一から教えこんでくれました。私の人生の中で、貴重な時期だったと思います。(といっても今、結果的にそれに報いてないんですけどね・・・)

[ 写真:まさにこんな感じの世界。こういうモニターを毎日ながめていました。これは為替のチャートです。]

しましま煙突が、仕事はまじめに(?)やっていたものの、プライベートではやはり写真を撮ることに夢中でした。もうそのときには、マイデジカメを購入済。富士フィルムFinepix6800zという機種で、なぜか「ハチベエ」という名前を付けてかわいがっていました。このカメラ、ポルシェがデザインしたそうで、縦長という珍しいフォルムだったんです。当時、7~8万払った記憶があるので、スペックの割に高かった・・・。今デジカメは、値段的にかなり手が届きやすい時代になったと思います。

[ 写真:富士フィルムFinepix6800z。“6800”だから”ハチベエ”。今考えるとよくわからないネーミング・・・(笑)]

「Finepix6800zのフォトギャラリー」

何度かリニューアルした後のTOPページ。最初の記念すべきデザインは見つかりませんでした・・・さて、デジカメが一般的になってきていたその頃、インターネットもどんどん普及していきました。そのうち、個人でもホームページというものが作れると教えてもらい、初めて作ったのがこちら。最初はSAORI’s ROOMというまんま(笑)なサイト名で、主に日記がメインの、超個人的なホームページでした。(このサイトを知っている人がいたらすごい! )昔、イラストや漫画を描いては、人に見てもらって喜んでいた私にとっては、インターネットという世界の中で、自由に情報を発信できることが本当にうれしかったんです。また、ネットを通じて色々な人と知り合って、メール交換をしたり、掲示板にお互い書き込みをしたりして、ますますインターネットの世界にのめりこんでいきました。そのうち、自分で撮った写真を公開しているサイトを訪れるうちに、「CONTAX Aria」という、フィルム一眼レフカメラの名前をよく見かけるようになりました。当時、素敵だな、と感じた写真のカメラは、たいていAriaでした。saorinの、Ariaへのあこがれが始まります。

[ 写真:何度かリニューアルした後のTOPページ。最初の記念すべきデザインは見つかりませんでした・・・]

わー、長かったですねー(笑)。こんな感じで、書き散らしていくのでよろしくお願いします! 次号は、今も私の一番の相棒「Contax Aria」との出会いと、仕事の転機についてお話します。

saorinサイト green freak
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